「釣りキチ三平」に関する、とあるブログを拝見して

ネットで上畑温泉のことを調べていて偶然、
東北在住ライター氏のブログに辿り着いた。
映画「釣りキチ三平」への酷評のみならず
(釣りや源流行シーンの矛盾が指摘されている点については
「なるほど、そうなんだ」と勉強になる部分があったけれど)
原作者・矢口高雄氏への疑問と厳しい批判が併せて綴られており、
驚きとともに複雑なショックを受けた。

私のような、単純に絵や漫画が好きなだけのヨソ者と、
郷土に根ざした活動をされているプロのライターさんとでは、
知識量は言うに及ばず、視点も感じ方も全く違うということか。

文中には (失礼ながら勝手に要約させて頂くと)
“矢口氏も故郷秋田を捨てて東京に根をおろした一人なのだから、
映画の登場人物の愛子を『いけ好かない女』と批判したり、
関東人の傲慢を批判したりする資格はない”
といった内容が書かれていた。
しかし (このライター氏が何歳ぐらいの方で、
どれだけ矢口作品を読まれているのかは知らないが)
矢口氏が1939年 (第二次世界大戦が始まった年) に秋田の農家に
生まれて過ごした時代は、豊富な自然環境に恵まれてはいても、
恐らく現代より遥かに不便で過酷な暮らしだったのではないか。
そんな境遇を生き抜いた世代の方が、故郷を飛び出して
都会で成功して戻らなかったとしても、
それを責める資格こそ誰にも無い、と思うのは私だけだろうか。
それに矢口氏は、故郷をリアルに (優しい綺麗な面だけでなく、
厳しく醜い面までも赤裸々に) 描いた漫画やエッセイや
美しい絵画などの作品を数多く手がけて全国の人々に紹介し、
感動を与え、十分故郷に貢献している。それらの作品からは、
作者の肉親や故郷に寄せた、深い愛情が伝わってくる。
(私自身、もし「釣りキチ三平」ファンになる事がなければ、
秋田を訪れる機会は一生無かったかもしれない。)
原作の三平の秋田弁も、ライター氏によれば「いいかげん」
らしいけれど、それは矢口氏が秋田弁を忘れたからじゃなく、
全国の読者にわかりやすく伝わるよう、
標準語に近い言葉に直されているからでは?
(まあ私も、関西が舞台もしくは関西人が登場する作品で、
いいかげんな関西弁が使われていると苦々しく思う人間だから、
「郷里の言語」への拘りについては否定しない。)

故郷に生きる方には、よそ者には計り知れない思いがあるのだろう。
土地が抱える問題や事情に疎く、にわか矢口作品ファンに過ぎない
自分などに、あれこれ口を挟む資格はないのかもしれない。
しかし、矢口氏本人の発言・行動に疑問があっても、
作者の根底にある精神や生き方は、生み出された作品に滲み出る。
描かれた漫画に、涙と感動を誘うものがあれば良いのではないか。
プロの作家であるからには、あくまで作品で勝負する。
漫画家なら漫画で、映像作家なら映像で訴え、表現し、
読者や観客の心に届かせる。
それで十分。否そうであるべき。
…と私が考えるのはやはり、単純に絵や漫画などの創作が好きで、
東北暮らしの経験がないヨソ者で、
ファンの贔屓目があるからだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/binzui/20090330/1238398856



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